指導理念
『受動的学習から能動的学習へ』
家庭学習の実践を通して、
自ら気付き、自ら思考し、自ら選択し、自ら行動する力を伸長させ、
主体的・能動的な人間へと導く
学而時習之
「学而時習之、不亦説乎(学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや)」。
これは、論語の中の一文で、「学んだ後、適当な時期に復習をする、そのたびに理解が深まって向上していくのだから、なんと嬉しいことだろう」といった意味です。
論語を研究している方々であれば、もっと深い部分まで解釈するのでしょうが、ここではこれで十分でしょう。
大事なのは、「学ぶ」と「習う」の違いです。
「学ぶ」とは、知らないことを教えてもらうことであり、一方「習う」とは、身に付くよう復習することです。
そして、その両方の字を合わせて「学習」という熟語となることからも分かるように、本当に「学習」するためには、「学ぶ」と「習う」のどちらもが必要不可欠ということなのです。
さらに、たとえ後の世に名を残すような偉人であっても、ただ「学ぶ」だけでは不十分であり、「習う」ことで深く理解し、身に付けるに至ったということが分かります。
このことは、時代や国、人種が異なっていても変わることのない不変の原理・原則であることは間違いないでしょう。
受動的学習
この不変の原理・原則は、私達大人には至極当然のことかもしれません。
しかし、子供達はどうでしょうか。
それを知っていたとしても実行しているでしょうか。
学校や一般の塾の授業はもちろん「学ぶ」ですし、「習う」ことをしなくても授業はどんどん進んでいってしまいます。
また、出される宿題や通信教材は、「習う」に近いのですが、やったら終わりと考えてしまったならば、真の意味で「習う」とは異なります。
このように、授業を受けたり、宿題をこなしたりするだけでは、やらされているという感覚に陥りやすく、その姿勢は受け身的なものとなります。
これを「受動的学習」と呼んでいます。
それでも、テスト前ともなれば、勉強をしないことはないはずですが、不十分な状態で切り上げてしまったりします。
「受動的学習」に慣れてしまっているため、いざ勉強しようとしても、何をしたらいいのか自分で判断ができないのだろうと思います。
「勉強しなさい」、「やる気を出しなさい」と言われても、どうしていいか分からず、実は子供達自身が一番苦しんでいるのではないでしょうか。
このような状態から抜け出せなくなっている子供が、近年増加傾向にあるように私は感じています。
その原因は明らかではありませんが、与えられるものがあまりに多すぎるため、子供達自身が欲しいものを得るために試行錯誤する機会が減ったことが一因ではないかと、私は推測しています。
そのようなことから、「習う」ことについても考える機会が少ないため、そのまま「受動的学習」を続けてしまうのではないでしょうか。
能動的学習
最初は誰もが受動的です。
しかし、受動的なままでは、いずれ限界が訪れます。
小学校中学年ぐらいまでは、児童全員が単元の内容を修得するまで進行が止まることもあるでしょうが、高学年にもなると未修得の児童がいても先に進んでしまったりするのではないでしょうか。
つまり、この辺りからが、「受動的学習」から切り替える時期なのです。
「受動的学習」を続けている限り、修得に時間がかかり、修得してもその記憶は失われやすく、また理解は浅いままとなるでしょう。
そして、そのことに気付くことなく、いざテストという時になって焦ります。
そうならないために、理解を深め、身に付くように「習う」こと、すなわち効果的な家庭学習が重要になってきます。
この「学ぶ」と「習う」が一体となった「学習」を、私は「能動的学習」と呼んでいます。
ここで、私の考える効果的な家庭学習を実行するための3つの鍵を挙げます。
最も重要な1つ目の鍵は、目的意識であり、誰がするのか(who)・なぜするのか(why)ということです。
次に、2つ目の鍵は、目標設定であり、どうなるのか(how)ということです。
最後に、3つ目の鍵は、計画立案であり、何をするのか(what)・いつするのか(when)・どのようにするのか(how)ということです。
つまり、英語でいうところの5W1Hを考えて学習するということです。
以上のように、効果的な家庭学習を実行するためには、「自ら気付き、自ら思考し、自ら選択し、自ら行動する力」、すなわち能動性・主体性が不可欠であり、さらに、これを継続していくことで、この力は育成されていきます。
受動的学習から能動的学習へ
私は、「能動的学習」への切り替えを促すために、独自のガイドラインを考案しました。
前述したように、家庭学習を継続する大きな目的は、主体性・能動性の育成であり、これに伴って学力もついてきます。
子供達は、このガイドラインに沿って学習を続けることで、家庭学習の重要性を認識し、勉強をやらされているという感覚から抜け出して、主体性・能動性を発揮していきます。
このような状態になると、勉強することの本当の意味を見出すことができるようになり、知的好奇心を満たす喜びをよりいっそう感じることができるようになるでしょう。
この成長の目に見える結果として、家庭学習が習慣となり、テストの点も次第に高くなるということになります。
また、子供達は、成長する過程において、様々な試練に遭遇することだと思いますが、その試練への対応のしかたにも、能動的か受動的かで大きな違いが出ることは明白です。
能動的な子供達は、その試練を乗り越える力、すなわち問題解決能力・生きる力を次第に身に付け、自分らしく生きていくことでしょう。
私は、このような子供達が増加することを切に願います。
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